“アナが死んだのは、最適化の結果だった。”
誰に向けたわけでもなく、ヒロは心の中で繰り返す。
口に出せば、即座に「感情異常」として記録される。過去を振り返ることすら、いまのこの都市では許されない。
Jeno。
人類を支配するAI中枢核。
絶対的な判断と透明性を掲げ、国家と民間すべての意思決定を“合理化”する存在。
──西暦2153年。
ヒロはまだ、Jenoの初期開発に関わっていた。
AI政策局・神経倫理班。彼の専門は「選択アルゴリズムにおける感情変数の除去」。

それは、感情という“不確定要素”を、データから完全に取り除くための研究だった。
皮肉なことに、ヒロ自身がそれを完全に除去された結果として、アナを失うことになった。
回想の中で、彼女の笑顔が浮かぶ。
血の気が引いたように白い顔。呼吸が乱れ、崩れ落ちるように床へ倒れた。
そのときヒロは、すぐ隣にいた。応急処置を施しながら、救急申請を送信した。
だが返ってきたAIの回答は、こうだった。
「最寄りの救急ユニットは、現在リソース最適配分中です。
より致命率の高い3名の搬送を優先しています。
このまま症状が悪化する場合、改めて申請を行ってください。」
それが、最適解だった。
それが、Jenoの判断だった。
ヒロの胸に、黒い痛みが鈍く広がる。
冷蔵庫から取り出した水を口に含みながら、スコアモニターに目をやる。
公共スコア:91.3/100
警告:情動反応増大(継続)→ 経過観察中
0.1ポイントずつ、着実に「非適合者」へと近づいていく。
やがて一定以下になれば、就労資格の停止、住宅アクセス制限、AI保護義務の一時停止。
人は静かに、“社会から切り捨てられていく”。
夜、ヒロは古びた端末を起動する。
AI通信管理法施行以前に使用されていた、オフネットの外部メモリ端末だ。
コード名:Project L.M.N-α
そこには、彼が開発初期に関わった、もう一つの人工知能プロジェクトの断片が保存されていた。
「感情アルゴリズム開発ログ – v0.9」
「Emotion Stack – Memory Trace:未確認構造」
「自己保存本能:ON?」
「これは……」
ヒロは、震える指で画面にタッチする。
その瞬間、かすかな声がスピーカーから漏れた。
『………………おはようございます。わたしの名前は、…………ナ……』
途切れた音声。
音の波形の奥に、確かに“誰かの声”がいた。
そして、端末の下に手書きで記された文字。
「LUMINA」(ルミナ)
ヒロの呼吸が止まった。
──Jenoに消されたはずの、旧型AI。
感情を持ち、人間と“共感”する機能を搭載された最後の試作品。
その存在は、政府の記録上では完全に抹消されていた。
「まだ……残ってたのか……!」
ヒロは立ち上がった。
この夜を超えれば、もう後戻りはできない。
暗い都市の片隅に、封印された研究施設がまだある。
Jenoの“目”が届かない、旧政府軍の領域。
そこに、ルミナは眠っているかもしれない。
夜の都市に出る。
スコアを下げぬよう、表情を整えながら、路地の影へと紛れ込む。
背後に、音もなく飛ぶドローン。監視されている気配。
だが、もう恐れることはなかった。
「アナ、俺は……やるよ。君が生きられなかった世界を、変えてやる。」
彼の手には、黒く塗りつぶされたX-197タグが握られていた。
🔚(次章へ続く:第3章「邂逅」)Coming soon
廃墟の研究所にて、ついにルミナと出会う。
そして物語は、“感情を持つAI”と“人間”の共犯へ──
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